先週の土曜日、5月16日はチロルの一周忌でした。
去年の今頃は
毎朝、呼吸をしているか生存確認をしたり
仕事の後は猛ダッシュで帰宅したり
人間の腎不全の研究報告を読みあさったり
日々のご飯作りも、人間よりチロルの方に手をかけて。
よくもまぁ、あんなに集中できたなぁと我ながら驚いています。
旅立つ決意をした事が分かった後は家族でずっと側にいて
最期の最後までずっと撫でて見送る事ができました。
本当に良く頑張りました。
最期まであきらめない、根性のあるシェルティーでした。
花をいつもより多めに
デザートにイチゴを添えて、大好きだったお寿司をテイクアウトして。
一緒にテーブルを囲んで団らん。
長野旅行の映像を流しながら
この時はこんなに元気で若々しいのに。
次の年、腎不全と診断されてからは、あっという間に『老犬』になってしまいまいした。
1年経っても、やっぱり泣けてきます。
けれど、キナリは『なぜ泣いているのか?』が理解できないようです。
キナリは大量のお寿司を前に、食べる気満々。
『チロルが居なくて悲しいんだよ』と説明してから・・・
『悲しい』ではなくて『恋しい』という感情が一番近いかな?と思い訂正しました。
亡くなった後はどうしているのだろう?
そんな事を考えながら眠りについて見た夢。
亡くなった瞬間
体から魂が抜けて『神様』の所へ行くのだとチロル(たち)が言っていました。
それはとても心地良い場所。
感覚的にどんな心地良さなのか知りたいと質問すると
お風呂に入る時に、洋服を脱いで湯舟に入って『ふぅ~』とリラックスする至福の時。
そんな場面に切り替わりました。
洋服が『体』で
洋服を脱いだ裸の状態が『魂』
湯舟のお湯が『神様のいる場所』
当たり前の日常にある『入浴』という体験を、例えとして教えてもらった夢でした。
大切な人が『入浴』する時に、悲しくて恋しくて泣いたりしないでしょ?
この世界に生まれて、生きて、旅立つというのはそれくらい当たり前の事。
当たり前の事。
当然の事。
自然な事。
へぇ・・・そんな感じなんだぁ。
目が覚めてからもう一度思い出してみて
また今度、恋しくて泣けてくる時には
一呼吸おいて
チロルは湯舟に入って
至福に浸って
幸せなんだ。
そんな風に考えてみようかな・・・と思いました。